首洗いの井戸~赤穂義士の歴史を刻むお寺~
泉岳寺 ~赤穂義士の歴史を刻むお寺~
忠臣蔵
泉岳寺といえば四十七士が君主浅野内匠頭の敵である吉良上野介を討った後に墓前にその首を備え、切腹した四十七士の赤穂浪士(泉岳寺では赤穂義士という名称を使用)のお墓と君主である浅野氏と奥方遥泉院のお墓があるのが有名です。君主と同じ場所でお墓に埋葬される。それもまた忠義の表れになるでしょうか?
また史跡としては国指定の文化財として浅野長矩墓および赤穂義士墓とされています。忠臣蔵はドラマや映画化されており、年末には12月の話なので放映されたりもします。君主の敵、時間を掛けながらも吉良を討つ姿に感動した人も多いのではないでしょうか?
大内内蔵助は君主が切腹を命ぜられた後で、すぐに行動を起こすと警戒されている時期で浅野家が無くなってしまう事も懸念し、何年も時間をおきます。それから行動を起こすわけですが、そのリーダーになった大内内蔵助像が泉岳寺の門を入ってすぐのところに立っています。内蔵助なのに良雄って現代風ですよね。 息子は主税(ちから)なんて読みにくい分かりづらい感じなのに親近感が持てませんか?
首洗いの井戸
泉岳寺の中には血染めの梅、血染めの石といって田村右京太夫庭で切腹した浅野内匠頭の血が飛び散ったと言われる梅の木と石が実際に移転されています。
血が飛び散った梅の木や石なんてちょっと気味が悪いなと思うでしょうが、亡くなった君主浅野氏の血が残っている石や梅ノ木で君主と共にあるようにと言う忠義の表れだと言われています。他にも主税(ちから)の梅といい、内蔵助の息子大石主税が松平隠岐守三田屋敷(現在のイタリア大使館内)で切腹した際の血が飛び散ったと言われる梅の木と遥池梅(ようちばい)と言われる赤穂義士の墓守をしていた尼僧が遥泉院から頂いた梅の鉢植えを泉岳寺の庭に植え替えたと言われる梅の木があります。それらは春になると花を咲かせます。
その奥にある義士達のお墓の前に吉良の首を洗ったと言われる首洗いの井戸があり、ネットで囲われています。
勿論、君主の墓前に宿敵の首を供えるならば首を綺麗に洗いますよね。
洗ったと言われる井戸ですがネットがあるので、どの位水があるのか
分かりにくくなっています。
ただ、これには他に諸説があって、両国(本所松坂町)にある吉良邸の中にも
首洗い井戸というのがあります。どちらで洗ったにせよ、12月14日に行われる義士祭で内蔵助役の人が
掲げる首を包んでいる布は真っ赤に染まっている設定になっています。
ドラマで本所松坂町~なんていうセリフに聞き覚えがある方もいるのでは?
切腹の際に赤穂義士達が切腹の為預けられた4か所
細川越中守(綱利) 肥後熊本藩 高輪下屋敷 大石良雄外十六人忠烈の跡 高輪一丁目
都営住宅の奥に大石内蔵助良雄の自刃後として石碑があり、その奥住宅の敷地内に囲われた切腹場所があります。
他の預け場所
水野監物(忠之) 三河岡崎藩 芝中屋敷 水野監物邸跡 芝五丁目
田町駅からすぐのミネ薬局の横道を入った所
松平隠岐守(定直) 伊予松山藩 三田中屋敷 大石主税良金ら十士切腹の地 三田二丁目
大使館の庭に碑
現在のイタリア大使館内。 大使館の庭に碑があります。
イタリア大使館内では1703年2月4日に義士が切腹をした旨をこのように碑に残しています。
大使館内には基本的に何かのイベントなどがあって開放されている時以外は入れません。
毛利甲斐守(綱元) 長門長府藩 麻布上屋敷 毛利甲斐守邸跡 六本木六丁目
今の六本木ヒルズ毛利庭園の中です。
毎年12月14日に行われる義士祭では築地から義士に扮した人たちが泉岳寺まで
練り歩き、義士たちを観ようとたくさんの人が訪れます。
とても混んでいますが出店なども出てお祭りのように盛況です。