えーーーご利益UP!?
神社へ行くなら月初がいい!?
新年が明けて間もなく2月を迎えようとしていますね。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
新しい年を迎えて心機一転、神社へ赴き、今年の無事を祈願した方も多いことでしょう。
日本人がお正月に神社へと参拝することは、もはや宗教というよりも、習慣。
家族で行うイベント・行事といった風にとらえている方も多いと思います。
また新年の参拝を終えた後は、何かの行事ごとがない限り、
わざわざ神社へ出向くことがない…そんな方もいらっしゃるかと思います。
しかし最近はスピリチュアルブームも手伝って、習慣的に神社に参拝を行っているという人の話を聞くことが多くなってきました。
特に商いをされている方は、商売繁盛などを願い、参拝を習慣にしている人が多いようですね。
足しげく通う人の中には「毎月1日は参拝に行っている」。「1日と15日は欠かさず参拝しています」。
などと、参拝する日を決めている人も少なくないようです。
これには何か意味があるのでしょうか?
御一日参(おついたちまいり)
実は古くから日本では、1日に神社へ参拝することを「御一日参(おついたちまいり)」と呼び、
1ヵ月を区切りとして、これまで無事に過ごせたことを感謝し、新しい月の祈願をする風習があります。
ちなみに太陰暦では1日は新月、15日は満月にあたります。
新月と満月は宇宙単位で見れば、太陽と月、地球が一直線に並んでいるという状態。
確かに科学的にも月の満ち欠けは月の引力による潮の満ち引きだけでなく、人間にも影響を与えると言われ、
満月の日には人の出生率が高くなる、自殺や殺人などが増えるというデータもあるほどです。
この月の暦の区切りの考え方を元に、エネルギーの流れが活発になるとか、願いが叶いやすいという考えに繋がり、
前述の「御一日参(おついたちまいり)」、「十五日参」という概念が生まれたようです。
また月の最初の日を「朔日(さくじつ・ついたち)」、その日に参拝することを「お朔日(おついたち)」、
「朔日参り(ついたちまいり)」などと呼んだりもします。
ちなみに【朔】という漢字には、月と太陽の視黄経が等しくなること、また、その時刻、という意味があります。
つまり新月のことですね。
ちなみに「ついたち」という言葉は、
月の始まり→月が立つ→ツキタチ(月立)…が転じて「ついたち」と呼ばれるようになって生まれました。
「朔日」、もしくは「朔」だけでも「ついたち」と訓読みをします。
奈良〜平安時代には「一日(ひとひ)」と呼ばれていたこともあったそうですが、
一日という言葉には「ある日」、とか「24時間」といった意味もあるため区別するために「ついたち」と呼ぶようになったようです。
ご存知の通り現代のカレンダーでは太陽暦が使用されているので、必ずしも毎月1日が新月、15日が満月というわけではありません。
しかしこの考え方の名残りが現代にも残り、御一日参(おついたちまいり)、御十五日参を行っている人が多い、というのが実情のようです。
また月に一度、月の半ばに一度の節目に神社に赴き、祈りを捧げることで、決意や目標を新たにし、気合いを入れるという意味合いを込めている人もいるようです。
確かに調べてみるとそこここの神社によって異なるようですが、
正月の元旦を区切りとし、毎月1日には神事を行っている神社が多いですね。
例えば伊勢神宮では毎年8月1日を「八朔参宮(はっさくさんぐう)の日」とし、五穀豊穣や無病息災を祈願する風習があります。
また月の区切りという考え方でいえば、伊勢神宮では皇室から賜った神馬の神事が、毎月1日・11日・21日に行われています。
またお伊勢さんで有名な和菓子メーカー「赤福」では、「朔日(ついたち)参り」のための
「朔日餅(ついたちもち)」が毎月、正月を除く朔日に、月替わりの内容で販売されているほどです。
ちなみに朔日餅をお土産で持ち帰るためには前日に事前整理券が配られ、明け方に整理券が配布されるほどの人気ぶりなのだそう。
縁起物を確実に手に入れるためには予約が得策のようです。
このほか、伊勢神宮のお土産屋さんが立ち並ぶおかげ横丁では、毎月1日に朔日朝市が行われたり、
朔日粥が販売されたりするなど、いかに朔日という日に重きが置かれているかが分かります。
今年こそ伊勢神宮を訪れたいという風に思っている方は、日付を意識して参拝日を決めて訪れるのもいいかもしれませんね。
これまで意識した事がなかった、という人も、今年からは参拝する日を決めて神社へお参りに行くといいかもしれません。
また、昔の習わしにあやかって本来の日にあたる、新月・満月の日に神社参拝を行うと、よりご利益があるかも!?
何はともあれ今年もよい一年でありますように! 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
プロフィール
作成者:emikko
モノカキ的なことを生業にしています。
幼少期は浄土真宗系の保育園に通い、学生時代には聖書のオバチャンの訪問を受けていた雑食宗教の経験あり。
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