長谷寺

長谷寺3

桜井市にある三輪山の麓を通る、山の辺の道を東に歩くと、周りの山が急速に狭くなります。

この谷の間を縫うように流れる初瀬川(大和川)を遡った先に、長谷寺が有ります。

長谷寺-1長谷寺4

古来より緑豊か

この地は大和盆地の一番東に位置し、大和三山である畝傍山、

耳成山、香具山からなる明日香盆地に、ほど近い位置にあります。

この地は5世紀後半、大和王朝を拡張しようとした、雄略天皇は泊瀬小野(はつせ おぬ)を訪ね、

この辺りの山野の成り立ちを見て大いに感動し、ただちに泊瀬朝倉に皇居を定められたそうです。

大泊瀬、小泊瀬、宇陀、愛宕の三方を囲む山々の緑に染まった美しさ、

たぐいまれな風光明媚なたたずまいは、さながらこの世の浄土の様相を現出しているようです。

そのような場所に長谷寺が草創されたのが7世紀にさかのぼります。

初瀬の地名は、泊瀬とも終瀬とも書かれ、また木々が生い茂る山々に三方を囲まれた静かな、

緑豊かな土地で有ったことから、隠国(こもくり)という枕詞を付けて多くの歌に詠み込まれてきました。

大正大学名誉教授の加藤精一氏は、長谷寺の歴史という文の中で、次のように云っています。

『初瀬というと、奈良の中心から遠く外れた特別な地域を想像するが、

それは必ずしも正しいとは思えません。

我が国の最古の都が点在する大和平野の大切な一角が初瀬なのです。

「古事記」に残る、ヤマトタケルの歌、

「倭はくにのまほろば、たたなづく 青垣山隠れる 倭うるわし」の倭は、

今の奈良地方一体を指していて、その中の聖地が初瀬である。と解釈したいのである。』

と言っています。このように、古来よりこの地は緑が豊かな地で有ったのでしょう。

そのような長谷寺ですが、またこの寺は『花の寺』としても有名です。

春には連翹・木蓮・桜・牡丹・躑躅。

夏には紫陽花・花菖蒲・泰山木・百日紅、

秋には芙蓉・萩・彼岸花が咲き、紅葉が始まる。

冬には寒牡丹・山茶花・福寿草等の花が、

一年を通して咲き、特に桜と牡丹と紅葉の季節は格別です。

牡丹は中国において、花の王者とされますが、長谷の牡丹を見れば、

牡丹という花の品格の高さと華麗さが良く分かります。

こと程さように長谷寺の自然は素晴らしいものがあります。

長谷を散策

このお寺の御本尊は、木造の十一面観音像で、昔から『長谷の観音様』として親しまれてきました。

現在は真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三ヵ所の八番札所として信仰を集めてます。

その観音様の特別拝観が開催中との情報で、早速出掛ける事にしました。

今回は桜井駅より、近鉄電車で長谷駅まで行くことにしました、電車では僅か二駅です。

いつもは国道165号線を車で向かうのですが、この時期は秋の紅葉祭りと重なり、

渋滞が予想されるためです。長谷駅に降りるのも初めての経験ですし、

何より車窓から見える、この辺りの景色を眺めてみたかったからです。

古代、ヤマトタケルがこの地を気に入り、皇居を此処に求めたというのも分かるような、そんな光景です。

駅からの坂を下りて、国道を横切って長谷寺の参道に到着。

長谷寺2

参道に着くと、丁度お神輿が長谷寺に向かって出発する場面に出くわせました。

よく聞くと、地元の天満神社のお祭りでした。途中までお神輿について上がります。

長いだらだら坂を登りきり、ようやく仁王門に到着です。

仁王門の手前にある、受付で入山料と本尊大観音像 特別拝観料の1300円也を支払って入山です。

此処からは長い長い石段を登ります。なんでも399有るそうですが、

長谷寺5

段差が低いため、あまり無理なく順調に登れました。

牡丹の花の咲くころは、この長い回廊の左右に花が咲き乱れるのですが、残念ながら花は見えません。

長谷寺6

やがて本殿前広場に到着です。

此処は観音信仰の聖地としてその名声を全国に響かせています。

お寺の創建は、朱鳥元年(686年)に、大和国弘福寺の僧、

道明上人が天武天皇の御病気回復を願って、初瀬山西の岡に安置したのが始まりとされています。

やがて奈良時代になり、聖武天皇の発願により、西国三十三ヵ所巡礼の創始者である徳道上人が、

神亀四年(727年)に東の岡に伽藍を造営し、衆場救済のために十一面観音像を祀ったそうです。

長谷寺7

これが、国宝に指定されている十一面観世音菩薩立像を安置している本堂です。

中に安置されている、菩薩像は高さが1018cmという大きさで、

足元に跪き、上を見上げてようやく御尊顔を拝める事が出来るほどの大きさです。

国宝ということで、残念ながらお写真撮影はNGでしたが、その神々しさに思わずひれ伏しました。

長谷寺8 長谷寺9

本長谷寺              五重の塔

御本尊の周りに壁面には四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)が御本尊を守護し、

天井には、鼓・笙・琴などが描かれて、まさに観音浄土を具現化していました。

また、十一面観世音菩薩像の背後には、『法華経』の中の

『観世音菩薩普門品第二十五』に説かれている、観世音菩薩が三十三に身を変えて衆生を救う姿を描いた

「観音應化三十三身板絵」(かんのんおうげ さんじゅうさんしん いたえ)が有りました。

十一面観世音菩薩像は、近江の国高島より来た霊木をもって、

仏師稽文会・稽主勲が三日間で造り上げたと言われています。

現在の御本尊は、たび重なる火災の後に、矧寄木造り(はぎよさきつくり)にて

大仏師運宗が天文七年(1538年)に再造したものです。

右手に数珠と錫杖を執って、左手に水瓶蓮華をもって、

方形の台座である大盤石座に立つ御姿は『長谷寺観音』と称されています。

なお十一面観世音菩薩像を安置する、御本堂は何度も火災で焼失し、

現在の本堂は慶安三年(1650年)に徳川三代将軍家光公の御寄進によって建立されました。

なお、本堂の中には、徳川家の代々の菩提も御祀りされていました。

この本堂は東を向いて立っており、御本堂の前面には張り出した舞台が有り、

全山が見下ろせるようになっているのですが、現在は工事中とのことで行けませんでした。

この後は本長谷寺、五重塔、陀羅尼堂を経て本坊を回り下山しました。

長谷寺10 長谷寺11本坊

陀羅尼堂                   本坊

仁王門の所に来るまでに、全山に響き渡る勇ましい御祭りの掛け声が、身近に感じられました。

長谷寺13長谷寺14

何とそこには、法被姿の大勢の人や、丁度居合わせた観光客の姿があり、

道路を行く車を誘導する交通整理員や、お神輿を担ぐ若者や、

町内の役員たちに交じって騒ぐ子供たちの笑い声が、秋の澄み渡った空に吸い込まれていくようでした。

このあと、お神輿は若い衆たちに担がれ、仁王門までの石段を踊るように登って行きました。

まもなく紅葉の季節、ぜひ花の寺を堪能ください。

長谷寺12

(本坊より見た、十一面観世音菩薩像の安置された本堂)

 


奈良県桜井市3初瀬731-1
〒633-0112

作成者:おわっシー







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