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クリスマスの話。

クリスマスは日本人にとってお正月に次ぐ大きなイベント。11月も半ばともなると、街にはクリスマスツリーが飾られ、店々はクリスマスソングを流して、クリスマスセールで賑わいます。夜ともなれば、街路樹のイルミネーションが煌めき、最近はふつうの家の玄関先や庭木にも明々と電飾がされます。

1224日のイブの夜ともなれば、クリスマスケーキを手にした父親たちが家族が待つ家へと足を急がせます。また、子供たちにとってはサンタクロースがプレゼントを届けてくれる嬉しい夜。そして、若い人たちにとっても大切な日、イブは恋人と過ごす至福の夜でした。殊に、クリスマスは国民あげての一大イベント。

 

メディアなどでよくいわれるのが、クリスマスはイエス・キリストの降誕を記念する日。キリスト教徒でもない日本人の多くが、なぜ、そんなに盛り上がるのかという疑問。そして、半数以上の日本人が特定の宗教は信仰しない、無宗教であるとするのに、クリスマスをはじめとして、結婚式は教会で挙げ、お正月には神社へ参拝して、お葬式は仏教に則って行うこと。また、家には神棚や仏壇を置いて、神さまや仏さまを祀ることの不思議さがいわれます。

 

が、日本人にとって、それらは宗教行事というものではなく、慣習とか生活に根ざした決めごとといったほうが相応しいものであり、生活文化とかライフスタイル程度のものでした。

 

ひとつの考え方として、古く、日本人の宗教観として神道の母体たるアニミズムがあったといわれます。アニミズムとは山や巨木などの自然や自然現象を崇め、八百万(やおよろず)の神と呼ばれる万物に宿る神霊を崇拝するものでした。やがて、神道の神祇が定型化され、そこに仏陀の教えが大陸から加わり、その後、イエス・キリストなる神を異国から受け入れます。それらは、日本人にとって八百万の神に、神さまが多少増えただけのことでしかなく、そこには、日本人のもつ寛容性の大きさといったものが作用していました。

 

そして、日本人はそれら、宗教の祭祀を単なる儀礼と捉え、慣習とか、生活に根ざした決めごとなどともしました。

 

そこには儒教の存在もあったようです。儒教こそ厳然たる宗教ではなく、誰もが受け入れられる思想や決めごとといったもの。礼儀を大切にして、長幼の序を重んじ、死者への礼を尊ぶ思想。ゆえに、祖先を氏神として祀り、お葬式や墓参りで死者に礼を尽くすのも、儒教の影響があったのかも知れません。儒教の思想はわが国の道徳教育として取り込まれています。

 

多くの宗教や思想を受け入れて、自身の中で消化して再構築する日本人のもつ寛容性の大きさといったものこそ、宗教がカキネを越えるために必要なものかも知れません。

 

 


プロフィールあらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。旧神社宮司家の家系であることで、神社縁起と地域伝承の考察や、パワースポットの研究をライフワークとしています。

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